手術は原則1chance

癌性髄膜炎による小脳浮腫・水頭症で手術を受けられた患者で、減圧不十分のためか、脳幹圧迫が来ている方がいる。
いきなり閉塞性水頭症意識障害を来した場合、家族も動揺するだろうし、その緊急事態に対して減圧なり、ドレナージなりの適応は、社会的コストをまだ度外視できる環境のわが国ではありだろう。
しかし、それで不十分みたいだから、末期癌の患者の残っている小脳を取るというのは、僕の常識空間の中ではありえない解。
そもそも論で言えば、脳転移が最初に見つかった時点で、自身と家族との間で死について真摯な議論がなされているべきで、このような(僕にとって)不毛な手術は議論にすら上がらなかったろうに。

自分はできるだけ常識人であろうと考えているつもりだが、医者の常識空間は一般人の常識空間と重ならない部分が大きい気がする。脳外科医もそうである。
世の中で、乳首をつねるような痛みの刺激でかろうじて目を開けて手を握り返すだけの反応が、意識が良いとは言わない訳で(回復過程にいる場合は変化率を見ているのであり得るが)、パッパラパーだけどなんとか家に帰れましたというのは、社会的には抹殺されかねない障害が残ったということだろう。

最重症くも膜下出血などで、色々手を尽くして、なんとか短期記憶障害と高次脳機能障害で家に帰れたりすると脳外科医としては凄くうれしい。しかし、以前に田舎に帰った際、そのような方が近所にいたが、近所の評判では"あれだったら、死んだ方がよかったんちゃうか"だった。

だからといって、治療しないわけにはいかないが、そういう見方もあるという話。